弱虫時計と君だけの神様連載小説
第一章 弱虫時計 第二章 君だけの神様  第三章 弱虫時計 
第四章 君だけの神様 第五章 弱虫時計  第六章 君だけの神様
第七章 弱虫時計 第八章 君だけの神様 第九章 弱虫時計
最新掲載 第92回  第9章 弱虫時計

 

自ら思い返す思い出のみにしか、そんな自分は存在しなかった。まったくもって都合がいい。全ては、そんな自分であった、と思い込みたいだけ自分が作った幻想でしかなかったのだ。どうやら俺は自分が作り出した過去に寄りかかるように生きていたようだ。たとえ幻想だろうとも過去の輝かしい自分が、今の俺に“本当はもっとマシな人間なのだ”と思わせてくれるからこそ、現状の不満をやり過ごせていたのかもしれない……。

――もうやめだ。いや、昔の自分を美しく思い返すことをやめたわけではない。自分と向き合っている場合ではないというだけだ。俺は父親になるのだ。過去の自分が弱虫だろうが、そうでなかろうが、俺にはしなければならないことがある。敦子とお腹の子供を食わせていかなければならないのだ。過去の自分が素晴らしかったと思いさえすれば円滑に物事が進むのならば、今更それを改める必要もないだろう。ともかく今は、目の前にある危機、紫色の悪意をなんとかするために梢のことをおじいさんから聞かなければならない。自分の心のありようなど、今はどうだってよい。

 マウンテンバイクを少し離れた電信柱の脇に止め、ガラス戸の入り口に向かうが、営業はしていなかった。土日は休みなのかもしれない。もしくは引退したのか。

店舗を通り過ぎ、奥の住居に行こうとしたときだった。

「出ていけ! 二度と来るな!」

向おうとした先から怒鳴り声が聞こえてきた。老人の声だ。

首を傾け、体を店舗に隠して覗いてみると、二人の人影が確認できた。玄関の手前には男の背中、服装から察するに年齢は俺と同年代といったところだろう。そして、玄関内にはその背中を向けた男を怒鳴りつける老人。玄関内にいるということは梢のおじいさんでまず間違いないはずだ。

しばらく怒鳴り声が続くと、おじいさんは目の前の男を突き飛ばした。そして、部屋の奥に一度引っ込んだ、と思ったのも束の間、すぐに玄関先に戻ってきて、白い粉末を投げつけて激しい音を立ててドアを閉めた。言動と行動の文脈から察するにおそらく粉末は塩だろう。

取り残されるようにドアの前に立ちつくしている男は、忌々しそうに唾を吐き、地面を蹴った。態度の悪い男だ。その男がこちらに振り向くと俺は「あ!」なんて思わず声をあげてしまった。知っている顔だったのだ。

「モリジン?」俺は隠れるのをやめ、一歩踏み出した。

「……京市?」モリジンの声はここまで届かなかったが、口の動きから読み取れた。